20140510_03ザヴィエルも、日本に来てみて、仏教諸派がお互いに協調的なのにおどろいている。
 これは、日本人のあいだでは、ヨーロッパとちがって、異分子をむりやりに改宗させた り、それがだめなら抹殺したりするような、強烈な社会意識がなかったからである。
家族を越えた社会に対する関心が、そう根ぶかくなかったことの反映であ る。
信仰の自由というより、むしろ、他人の信仰に対する「無関心」が支えになっているのである。
その証拠に、せっかくの宗派協調も、キリスト教が入ってくると、もう駄目である。

ルイス・フロイスの『日本史』などを読むと、戦国期のキリスト教宣教師 が、日本人の信者から仏教書をとりあげて焼却した例が報告されている。こうした「他宗を大いに誹謗する」態度は、日本人のあいだに、いたずらに反キリスト 教的なムードをもりたてるだけである。日本におけるキリスト教伝道が失敗した究極の原因は、このような日本の精神的風土との違和感にあるのではなかろう か。



肉食の思想 P145『Ⅳ ヨーロッパの社会意識』 より



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